重松氏の真骨頂。中学生時代のあの頃、息苦しかった友人関係や親子関係。そして、「自分」の発見。あの頃の感情や想いをリアルに切り取った青春小説!
あらすじ
ぼくの名前はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった――。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?……家族や友だち、好きになった女子への思いに揺れながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。
(「amazon」商品紹介ページより)
中学生の少年・エイジの物語です。
あの頃の僕らは、とても狭い世界に生きていました。その狭さに気づけないほどに狭い場所に。
身も心も成長する時期にあり、狭い世界で自分を持て余した中学生時代。
親に、教師に、友達に、周りとの関係性を息苦しく感じたことはありませんか?
そんな中で、クラスメートの”タカやん”が傷害事件で逮捕されます。ただし、人を傷つけたに留まらない更に重大な事件に発展します。
”タカやん”が自転車で警棒を使って突き倒して逃げたのは、妊婦でした。
大切に大切に育んでいくことを心に決めていた大事な命は、生まれる前に奪われてしまいました。
事件は、ワイドショーで取り上げられ全国で大きく報道されます。
家族との関係も、友人関係も良好であった主人公・エイジですが、その頃から何かの歯車が狂い出します。むしゃくしゃすることが多くなり、周りとの関係にも事件のことにも何かが納得がいかない。
エイジは自分も実際にしないだけで、頭の中では”タカやん”がやったように、他人を傷つけることもあります。女の子に乱暴することもあります。そして同じように、タカやんと同じうに自分も女の子を好きになることがあります。
そんな自分とタカやんは、いったい何が違うんだろう。
この物語は、「自分」とは何かを知る物語です。
苦しいこともあるけれど、むしゃくしゃすることもあるけれど、エイジは何を得ることができたのか。どこに向かうのか。
心理描写もストーリーも非常に秀逸な本作。
中学生や高校生にも、そして反抗期・成長期を迎える子を持つ親にも、みなさんに読んでいただきたい本です。
自分だけは、自分の子だけは、なんてことはないのです。皆等しく似た悩みを抱えて生きていく、その中で違うのはどこか。
その答えが、最後にあります。
一押しのポイント
この物語は、誰にとっても関係のある物語です。
それは小説の言葉を借りるならば、
「人間には3種類しかいないんだよ・・・これから中学生になる奴らと、今中学生の奴らと、昔中学生だった奴ら。」
つまり、自分もその子供も、これから通る、あるいは通ってきた道の物語だから。
この本のテーマの一つは、「自分」、つまりアイデンティティの獲得だと思います。
事件報道では、”タカやん”は「普通」の少年と語られています。
あるいは、「真面目で大人しい」とも。
そして、エイジの母親も被害者を案じる一方で、「真面目で大人しい少年」がこんな事件を起こしたのには、何か訳があるはずだ、かわいそうとも表現します。
エイジは疑問に感じます。
「普通」とはなんだろうか。”タカやん”には好きなアニメだって、特徴的な歩き方だって、人と違う何かだってあるかもしれないのに。
そして、自分はそれでは普通なのか、そうではないのか。
こんな事件を起こしたタカやんと自分には、何が違うのか。
自分のアイデンティティが未確立で、狭い世界で自分と他人の違い、そして世界における自分がどこにいるのかがわからない、あの頃。
事件にも、何か特定の価値観を強要されるような人間関係も、そして、何かと鬱陶しく感じるようになった家族関係にも。何が正しいのか、どうあるべきなのか、わからない。そんな自分や世界に、苛立つエイジは、やり場のない苛立ちや、抑えがたい暴力の衝動を抱えます。
そこから出たいと感じるようになったエイジは、とうとう学校を早退し、自分の町からも脱出します。
ぼくはいつも思う。「キレる」っていう言葉、オトナが考えている意味は違うんじゃないか。我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。自分と相手とのつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか。
エイジはその世界から脱出してみて、気づきます。
案外に一つの世界から出ることなんて簡単なんだということに。
そして、そこの価値観に縛られることも抜け出ることもできることに。
そして、自分とタカやんの違いについて、こう結論付けます。
「犯人ときみとの違いはどこにあるんだと思う?」と訊いてくれればいいのに。ぼくはすぐに「だって、ぼく、あいつじゃないもん」と答えるだろう。・・・なぜって、二十代無職の男は十四歳の中学生よりもはるかにたくさんいるのに、その人たち「あなたは今回の事件をどう思いますか?なんてインタビューする記者は誰もいないんだから。
そう、同じ中学生で同じクラスにいて、同じような妄想や衝動を抱えていて。
それでも、違うのは実際に何かをしたのか、という一点に尽きます。
中学生だからとか、大人だからとか、一切関係ないのですよね。
閉塞感と押し込まれ、悪意の波に飲まれながら、思春期を駈けるエイジが自我を確立していくさまは心に迫ります。
苦しい展開を読み進めた先には、エイジと同じようにすこし違う自分がいるかもしれません。
最後に待ち受けている”お日様”には、カタルシスを感じることでしょう。
いろんな闇が自分にもあるけれど、「負けてらんねーよ。」とぐっとガッツポーズが決まります。
最後に
大人になって、多くの場合は世界の大きさを知ります。
世界の大きさを知るに連れて、ひとつの社会での尺度の無意味さを知りますし、ひとつの世界からの脱出もできます。
エイジは、そこの端緒に着くことができたのだと思います。
ただ、どこの世界にいても、悩みや苦しみ、そして憎しみや怖れは、誰にもいつでも訪れます。
それは、もちろん”ツカちゃん”のようなガキ大将でお調子者も、”タモツくん”のような秀才も、そして私にもあなたにも。
それでも、負けてらんねーよ、と言えることが大事なのだと今は思います。
重松氏のおすすめ作品の一つです。