【おすすめの小説】ぼくのメジャースプーン 辻村深月

現代版の「罪と罰」。罪を償うとは何か、罰するとは何か。心を傷つけられた大切な友人のために「特別な力」を持つ自分が悩み苦しみ出した答え、必見です!

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あらすじ

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった――。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に1度だけ。これはぼくの闘いだ。

(「BOOK」データベースより)

 

本作の主人公は、小学生の「ぼく」。

 

他人を言葉で縛る力。「『何か』をしなければ『ひどいこと』が起こる」と相手に囁くことで、相手に「何か」と「ひどいこと」のどちらかを選択をさせる、主人公はそんな不思議な力を持っています。

そして、文庫のカバー表紙は、柔らかく暖かみのある絵柄。

これまでも「すこし不思議な」物語を展開してきた作者ですが、今回はさらにSFライクでポップなストーリーを想像して読み始めました。

 

ところが、読み進めるごとにその想像は覆されていきます。

小学校で起きた凄惨な事件、そして「 ぼく」の大切な友人の心に刻まれた痛ましい傷。

とても読むのが苦しいのです。

これを起こした犯人に対して、そして傷ついた友人に、「ぼく」ができることは何なのか。「復讐」とは何なのか、「償い」とは何なのかーー。

これを読むみなさんは、一生懸命になって「ぼく」と一緒にエンディングに向かって悩み続けることになるかと思います。

その結果がどうなるのか、ぜひ最後まで読んでいただきたいのです。

 

一押しのポイント

こうした様々な重たいテーマが描かれるなかで、読了したのち私がこの物語のメインテーマであると感じたのは間違いなく「愛」です。

そう確信させる感動のエンディングが最後に待ち受けています。

 

「ぼく」は自分の行動について、自分のためにやっていることだから、その気持ちは素晴らしいことでも何でもないと考えます。それどころか、自分のためにと考えて採る自分の行動を否定的に捉えます。

 

辻村氏の別著作「子供達は夜と遊ぶ」のキャラクターの数名が、本作にも登場してくれるのはとても嬉しいところでしたが、そのなかで本作でも主要人物として活躍する秋山先生の、エンディングでの「ぼく」への言葉は心に響きました。

 

「責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです。」

(「ぼくのメジャースプーン」より)

 

その通りですよね。その通りだと思います。

 

「人のため」というのはすこし怖い言葉です。

人の役に立つこと、喜ぶことをすること。

これはとても素晴らしい行いだと思います。こうした行動のできる人は尊敬します。

ただ、これを「あなたのため」にやっていることだと相手に押し付けたとき、それは相手の気持ちから離れていってしまうと思うのです。

一方で、「自分のために」と言う言葉は、自分の気持ちからスタートしていることを自覚している人しか使えない言葉です。

 

そんな主人公に、秋山先生は「自分のため」でいいんだよと、それがいいんだよと、崩れ落ちる「ぼく」を肯定してくれました。

私はこの部分を読んだときに、一緒に救われたように思います。

普段読書をして涙を流すことはないのですが、ここにはやられてしまいました。

 

最後に

スロウハイツの神様」にも共通しますが、「自分のために」というキーワードは、仕事や人間関係においてクサクサしてしまった自分の心を落ち着かせてくれる大事な心構えのひとつだと思います。

どんなことも自分の責任で、自分のために、そんな想いでいたいものですね。

ちなみに、このあと久しぶりに苺味のキャンディーを舐めました。

味がきちんとしていることを当然のように確認し、その当然を噛みしめるのでした。