今をときめく辻村深月氏の人気作!ドラえもんを観て育ったみんなに!自分の特別さと普通さを受け入れる青春の物語。心を刺す彼女の語り口に、嵌っていくこと間違いなし!
あらすじ
高校2年、芦沢理帆子――。「家に帰れば、本が読めるから」誰と話しても、本気で楽しいと思えたことがなかった。あの光と出会うまでは。
藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う1人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき――。( 「BOOK」データベースより)
辻村深月氏の小説でまず最初に読んでほしい「凍りのくじら」。
「すこし不思議な」物語は、ここからスタートしました。
主人公・理帆子は藤子F不二雄氏のことを藤子先生と呼び、誰もが知るこのアニメや漫画をこよなく敬愛する、すこし変わった女子高生です。
自分の特別さを疑わなかった青春時代。
その度合いに差はあれど、誰もが通る道。ただし、本人たちの切迫した気持ちは彼らだけのもの。
本作はそうしたその時期特有の心の揺れを鋭く的確に表現した作品です。
そして、それらが高じて引き起こされることとなる事件とはー。
これは青春時代の物語ですが、青春小説ではありません。
ヒューマンドラマでもあり、ミステリーでもあり、サスペンスでもあります。
心に刺さる彼女の物語、必見です。
一押しのポイント
この物語を特別なものにしている一番の要素は、やはり的確な心理表現。
冒頭に述べましたが、理帆子が自分の賢さや容姿、そして「どこでもドア」を持つと信じて疑うことのなかったように、誰しも自分の何ものでもない何かを信じていた、そんな時期があったかと思います。
自分しかこんなこと考えてないのではないかという思いに優越感を感じる一方で、周りと違うことを怖れるあの気持ち。
自分が世界で特別ではないことに気付いたのはいつでしょうか?
そして、特別でなくでも大丈夫であることに気がついたのは?
理帆子は、物語のスタート時点ではこう述べています。
「対等に話をすることを諦めるだけで、相手に対して折り合いがつくことっていっぱいあるんです」
幼少より読書量も多く、人の感情や考えを整理することに長けた理帆子は、どこか周りを心の奥で軽んじています。
そんな彼女がのちに崩れ落ちるようにして云うのがこのセリフ。
「私は、どこにいても、そこに執着できない。誰のことも好きじゃない。誰とも繋がれない。なのに、中途半端に人に触れたがって、だからいつも、見苦しいし、息苦しい。」
この物語は自分が特別でないことを受け入れる成長の話だと思うのです。
自分はドラえもんではない、ジャイアンでありスネ夫でありのび太である。あるいは、出木杉くんであっても、出来すぎることはないと。
それでも、大丈夫なのだと。
特別でないからこそ頑張るのだ、とね。
この物語のもう一つの一押しはやはり「ドラえもん」。
この物語を読み終えてやはり誰もがドラえもんを読み返したいと思ったのではないでしょうか。
子供の頃、金曜日の夜にテレビを流れるアニメのオープニング。タララタララタララタララタララタララタラララー。
どこでもドア、スモールライトバックライト、てきおー灯。
私たちにとっての原風景。どれも愛しくて懐かしい。
この著者は登場人物を通じて、しばしば漫画や本、映画などのエンタメへの愛を語りますが、ドラえもんへの思い入れは理帆子のそれと同じなのではないでしょうか。
2019年、映画「ドラえもん のび太の月面探査記」が公開となりましたが、なんと脚本を辻村氏が担当しました。
ドラえもんへの愛とその類まれな実力によって引き寄せたお仕事だと思います。
今、Amanonプライムビデオでは、最近のドラえもんが見えるようですね。
最後に
青春時代の心の動きの描写や、それを支えるドラえもんなどの目を引く舞台装置。
ちなみに、光と理帆子をつなぐキーアイテムとしてフィルムカメラが登場しています。その趣きや映しだす表現は、デジタルカメラがこれだけ発達した今もなお、多くのファンをひきつけます。
この物語は、フィルムカメラで残された写真のように、貴重に輝くワンショットを大事に大事に集めた、アルバムのような素敵な作品です。